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2025.04.18

「はいつくばってでもプロに」 ブンデスリーガで夢をかなえた魔法の3週間 フォルトゥナ広報?廣岡さん(本学OB)のサッカー人生

 ドイツのプロサッカー?ブンデスリーガ2部で、田中碧ら多数に日本代表が所属したフォルトゥナ?デュッセルドルフには、日本語の公式サイトがあります。広報担当として、現地の日本人、さらには日本のフォルトゥナサポーターに向けて積極的に情報を発信しているのは、大阪体育大学サッカー部元主将の廣岡太貴さん(35)。プロの夢を追い何のつてもなくドイツに渡り、魔法のような3週間の経験から、夢を実現しました。

廣岡太貴さん。2023年10月21日、1.FCカイザースラウテルン戦で逆転勝利し、田中碧がベンチの廣岡さんに駆け寄る【?f95】


 小学校3年からサッカーを始めた廣岡さんは、大阪?清風高校のMFとして大阪府でベスト4に進みました。父は1985年の全日本インカレで大体大主将として初優勝を果たし、松下電器(ガンバ大阪の前身)でプレーした成典さん。母祐美子さんも大体大体操競技部出身。両親の影響で大体大に進学し、。坂本康博監督の下、4年生だった2011年、主将として、総理大臣杯全日本大学サッカートーナメントで優勝しました。同期に副主将を務めた松澤憲伸?現大体大コーチがいました。3学年上の松尾元太?現大体大監督と福島充コーチは2008年の総理大臣杯で優勝しました。大体大の黄金期でした。

2011年、主将として総理大臣杯全日本大学サッカートーナメントで優勝した廣岡さんと松澤憲伸現大体大コーチ


 廣岡さんはプロを目指し、セレッソ大阪などのテストを受けたが、落ちました。そんな時、松澤さんがサッカーを続けるためにスペインに渡ることに。「どうしてもプロの道を目指したい」。廣岡さんは、3年間ドイツに留学していたサッカー部コーチの曽根純也教授に相談しました。「はいつくばってでもドイツでサッカーをする覚悟があるのか。その自信がないのなら、行かない方がいい」。曽根コーチの言葉は厳しいものでした。しかし、廣岡さんは「覚悟を決めていた。本当に何でもしてやろうという気持ちだった」と振り返ります。
 ドイツ語は分かりません。何のつてもありません。曽根コーチから紹介された3部チームの練習に参加するため、7日後の帰りの航空券を持ってフランクフルトに向け旅立ちました。
 しかし、手違いでその3部チームの練習に参加できませんでした。曽根コーチに電話し、何とか5部チームの練習に参加できることになりました。列車でデュッセルドルフへ。帰りの航空券は捨てました。5部チームには合流できました。その日はちょうど練習試合があり、出場すると、対戦した4部チームの監督の目に留まりました。「来週、うちに来てくれ」。4部チームで1週間練習に参加すると、そのチームのトップチームだった2部のフォルトゥナ?デュッセルドルフの監督が廣岡さんを見ていました。「来週からトップチームに来い」。フォルトゥナでのプレーが決まりました。3部での手違い→5部→4部→2部。曽根教授は「つても何もないところから自分で道を切り開いた。シンデレラストーリーのようだ」と、偶然につかんだチャンスを自分のものにした教え子を讃えます。
 廣岡さんはフォルトゥナでは、けがのため契約延長は果たせませんでしたが、2013年、4部のレーデンに所属しました。その直後にあったドイツカップではバイエルン?ミュンヘンと対戦。ボランチとして名選手のロッベン、ミュラーをマークしました。この試合は日本でもCS放送で中継され、人気チームのバイエルンの試合で突然画面に現れた日本人に驚いたファンも多かったといいます。

母校のサッカー場で。左から松澤憲伸コーチ、曽根純也教授、廣岡太貴さん、松尾元太監督


 2019年、廣岡さんは現役を引退しました。数年前にJFA公認B級コーチライセンスを取得していて、帰国して高校サッカーを指導する道も考えましたが、その年にエリーさんと結婚したこともあり、ドイツにとどまりました。
 フォルトゥナから広報の話が持ち込まれたのはそんな時でした。デュッセルドルフは日本企業約500社が拠点を置くなど欧州最大の日本人コミュニティーがあり、ブンデスリーガで唯一、日本向け窓口のジャパンデスクがあります。一方で廣岡さんは選手時代に広報などの経験はまったくなく、パソコンも持っていませんでした。ただ、「曽根先生から言われた『はいつくばってでもやる覚悟はあるか』という言葉は、ドイツでも常に頭の中にあった」と言います。新たな仕事に飛び込みました。

廣岡太貴さん


 今、廣岡さんはフォルトゥナのスポーツ&コミュニケーション部日本コミュニティーマネージャーとして、日本語の公式X、HPで情報を発信しています。チームには、かつて日本代表の原口元気、宇佐美貴史、田中碧選手らが所属し、現在もアペルカンプ真大選手がプレーしています。SNSなどを通じて日本語で情報発信するチームは他にもありますが、ジャパンデスクを置いてネイティブの日本人、しかも元サッカー選手が記事を書いているのは、フォルトゥナだけです。
 広報以外では、日本企業にセールスをかけたり、日本人学校とのコミュニケーションや地域交流も廣岡さんの仕事。「選手時代と立場は変わったが、サッカーに携われることにとてもやりがいを感じる」と話します。
 「はいつくばる覚悟」でドイツに渡り、13年。廣岡さんは「ドイツでは語りつくせないほどの出来事があったが、体大で学んだことが活きている。体大では、技術よりも中身、人としてどうあるべきかをサッカーで学んだ」と振り返ります。例えば、学生時代は、どんなに技術的に優れた選手でも少しでも隙があるとBチームに落ちました。「サッカーでは確実なことなど何もない」ことを学びました。
 3年先輩の松尾監督は「卒業後もコミュニケーション取り、会って話す機会は多いが、逆境を逆境と感じていない。自分の目的をはっきり持ち、それを実現するための努力ができる人だ」と話します。
  廣岡さんの今の夢は「日本のサッカーにどんな形であれ、貢献すること」。後輩たちに「夢を実現するには、先を見すぎず、1日1日、今を全力で生きることが次につながる」とエールを送りました。

フォルトゥナ?デュッセルドルフ日本語サイト

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