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2025.04.10

宇津木選手の東京?パリパラリンピック出場への軌跡 「仮説をデータで実証、2度のフォーム改良で過去の自分を超える」 浜上水上競技部女子監督 大阪体育大学コーチング研究誌「櫂(かい)」から

 東京?パリパラリンピックで、はじける笑顔で奮闘し、競泳平泳ぎ100mで入賞した宇津木美都選手(現在大学院博士前期課程1年)。2大会連続出場の背景には、大阪体育大学水上競技部女子監督の浜上洋平准教授(体育科教育学)との、仮説をデータで実証し2度のフォーム改良を実現した科学的な練習があった。浜上准教授の指導の軌跡を、スポーツ科学部スポーツ教育コース発行のコーチング研究誌「櫂(かい)」から紹介する。

スランプ脱出に向けたフォーム改良の試みとその成果
 ―東京2020?パリ2024パラリンピックまでの歩み―
女子水上競技部監督 浜上洋平

浜上洋平准教授

1. 宇津木美都選手を大阪体育大学水上競技部に迎え入れるまでの準備
 宇津木選手のパラ水泳デビューは2016年、彼女が13歳の時である。そのわずか1年後には世界選手権の日本代表として選出され、50m平泳ぎ(SB8)ではアジア新記録を樹立した。翌年、15歳で臨んだアジア大会では初出場?初優勝を果たす。その頃のレース映像を見た印象は、「華奢な体型の利を生かしたハイテンポなストロークで泳ぐタイプの平泳ぎスイマー」というものであった。女子選手の中には第二次性徴前の軽やかな身体で高いパフォーマンスを発揮する選手も少なからず存在する。当時の彼女の泳ぎからもそのような印象を受けた。少なくとも、22歳現在の「高い筋力と長いストローク長を生かした柔軟なフォーム」とは別人の泳ぎに思えてしまうほど異なるスタイルであった。
 突如、パラ水泳界に彗星のごとく現れた宇津木選手は世界的にも一躍注目されるようになり、今後の活躍が確実視される存在にまで駆け上がった。しかし、その後、長く深いスランプに陥ることになったのである。
 彼女の競技人生の歯車が狂い始めたのは中学校3年生から高校生にかけての期間である。今振り返れば、第二次性徴による体型の変化に伴うフォームの見直し?改良がされないまま、とにかくトレーニングメニューをがむしゃらにこなすことで得られるトレーニング成果に頼る日々であったという。高校進学とともに練習量が増加し、全身持久力や筋力をはじめとする体力要素の各スコアは軒並み向上したものの、肝心の平泳ぎに関してはどれだけ頑張って泳いでもレースタイムの低下を食い止めることができなかった。高校2年生時には、中学校2年生時に記録した当時の自己ベストタイム(1’26”06)から12秒以上遅いタイム(1’38”25)にまで落ち込んだ。コロナ禍(宇津木選手が高校2年生冬~高校3年生夏の時期)も相まって、彼女はスランプから抜け出せないまま高校卒業を迎えることとなる。
 大阪体育大学入学直前の3月、私は彼女のトレーニングプランや指導方法を検討するための情報収集を目的として、彼女が当時在籍していた京都文教高等学校の水泳部監督?宇野慎也先生とパラ水泳日本代表チームで長く指導していただいていた岸本太一ヘッドコーチに連絡をとった。奇しくも宇野先生は私が学生時代に所属していた筑波大学水泳部競泳チームの4つ上の先輩、岸本コーチは4年間の時間をともに過ごした同期の間柄であったため、彼女のこれまでのトレーニングプロセスや心境の変化を含めた人間性などについて、かなり詳細な情報を収集することができた。これらの情報がなければ、大学入学後の急激な復活を果たすことは難しかったのではないかと思う。宇野先生、岸本コーチにはこの場を借りて感謝申し上げたい。

2. 東京2020パラリンピック出場への一縷の望みに賭けた
スカーリングストロークの徹底

 大阪体育大学女子水上競技部の部員として新たなスタートを切った宇津木選手に今後の目標を訪ねた際に「東京パラリンピックに出たい」と即答されたことは今でも鮮明に記憶している。パラスポーツ界の頂点ともいえるパラリンピックが自国開催されることの重大性について、私自身あらためて気付かされた瞬間でもあった。
コロナ禍の影響により、本来高校3年生で迎えるはずだった東京2020パラリンピックが大学入学直後の2021年8月に開催されることとなった。同大会の日本代表に選出されるためには、同年5月21~23日に開催される日本代表選考会において最低でも1’30”くらいのタイムで泳がなければならないが、入学直前3月の試合でのタイムは1’34”49であったという。つまり、1か月半という短期間で4秒以上(約5%)のタイム短縮が必要であるということである。
 「1か月半で100mのタイムを4秒以上(約5%)短縮する」というのは、対象選手が小学生でもない限り、競泳の常識では到底達成できるとは思えない天文学的な数字である。宇津木選手との話し合いを経て、この難題をクリアするためには「フォームの改良」しか方法がないと決断した。体力要素についてはこの期間中に著しく向上させることは難しいだろうと割り切り、スイムトレーニングの多くの時間を“フォームを洗練させる”時間に割いた。後に彼女は「藁にもすがる思いで大学進学に伴うトレーニング環境の変化に賭けた」と振り返ったが、私も同様の気持ちでこの方法に賭けたのである。
 右腕の前腕欠損という身体的な特徴を踏まえると、宇津木選手が多くの健常スイマーが行うような大きく円を描くストロークを用いた場合、①両腕を使って水を押さえられないため上半身を大きくリフトアップさせることが難しいこと、②アウトスイープ(外向きへの抗力)を大きくすると体が右側によれるリスクがあることが懸念点として挙げられた。加えて「キックが主な推進力源になる」という平泳ぎの運動特性も考慮し、選考会に向けては「水をかかないストローク」を用いたフォームを洗練させることに舵を切った。
 具体的には水をなでるように左右にスライドさせる「スカーリング技術」を用いた泳法(以下、スカーリングストローク泳法と示す)である。この泳法は元々スランプに陥っていた高校生の頃に先述の岸本コーチから提案されたものであり、ストロークの推進力を捨てる代わりにキックの推進力を妨げる抵抗を減らすというねらいがあった。私の目から見ても、当時の彼女の泳ぎは手足のコンビネーション(連動性)がうまく機能しておらず、短期間でパフォーマンスを向上させるためにはこの泳法を洗練させることが最適解に思えた。このスカーリングストローク泳法を洗練させるため、トレーニング中は以下の点を常に意識させた。

〔スカーリングストローク泳法を洗練させるために意識したポイント〕
①常に足先を胴体に隠す(投影面積、抵抗の最小化)
②骨盤のポジションを安定させる
③インスイープ時に股関節を伸展させるように骨盤を前に出す
④グライド姿勢をつくってからキックを開始する
⑤足関節を回外させた蹴り出し(キックによる推進力の向上)

 この泳法を洗練させた結果、宇津木選手は見事、選考会で1’30”07で泳ぎ、日本代表に選出されることとなった。大きな山をロジカルなプロセスで乗り越えた当時の経験は、失いかけていた彼女の自己効力感を取り戻すきっかけになったように思う。また、大阪体育大学で大きく飛躍する可能性を彼女自身が見出せた瞬間でもあったように感じる。
 その後、東京2020パラリンピックに向けては「決勝進出」を目標に掲げ、選考会時のフォームが崩れないよう細心の注意を払いつつ、体力要素の強化とペース配分の感覚の醸成を図った。ストレングストレーニングを本格的にスタートさせたことで、スタートやターンで壁を蹴る力に加えて、平泳ぎのキック力が向上した。また、決勝進出ラインを想定し、「予選レースで1’28”
99(前半41”9、後半47”0)で泳ぐこと」を具体的な数値目標に据え、そのタイムを出すためのペース練習を定期的に反復した(下記参照)。

〔前半を41”9で泳ぐためのペース練習〕
?Dive 50m…レース時のストローク頻度で41”9で泳ぐことを目指す。

〔後半を47”0で泳ぐためのペース練習〕
? 50m×2本(rest5秒)…1本目は中強度で泳ぎ、5秒休憩して、2本目は100m後半のレースペース 46”0(※約1秒間のターン所要時間を考慮)で泳ぐ。

 上記を中心とするトレーニング成果を積み上げた結果、東京2020パラリンピックの予選では目標を上回る1’28”44で泳ぎ、見事6位で決勝進出を果たすことができた。前半41”77、後半46”67のタイムはともにペース練習で想定していたとおりのタイムであった。決勝も同様のペース配分で泳ぎ6位に入賞した(1’28”56)。

3. パリ2024パラリンピックメダル獲得に向けた縦ストローク泳法への変更
 東京2020パラリンピック翌年の世界選手権でも6位入賞を果たすなど、再び世界の舞台で安定して戦えるレベルにまで調子を戻せたものの、メダル圏内の選手たちとの差は埋まらなかった。パラリンピックでのメダル獲得を想定した場合、さらなるレベルアップは必須であろうと判断した私たちは、ストロークによる推進力をほとんど発揮できないスカーリングストローク泳法に限界を感じ、ストロークの推進力を生かした新たな泳法を模索することにした。
 世界選手権後、前方から後方にかけて直線的に水をかく縦ストローク泳法が最も大きな推進力を発揮できるのではないかという仮説のもと、その新泳法習得に向けた練習を重ねていた。しかし、泳法の変化にはパフォーマンスを大きく飛躍させる可能性とともにそれを低下させるリスクも孕む。たとえ、選手本人が感触良く泳げていると感じたり、コーチから良い泳ぎに見えたとしても、客観的な成果が伴わなければそのリスクは常に選手やコーチの頭にこびりついたまま滞在し、時には思い切った変化を妨げる存在になり得るのである。そのような迷いを断ち切るために、私たちはパラ日本代表チームの分析スタッフの協力を得て、①スカーリングストローク泳法、②横ストローク泳法(大きく円を描くように水をかく泳法)、③縦ストローク泳法の3泳法それぞれの「平均泳速度」、「ピーク速度」、「最低速度」を測定し、客観的なデータから最適なストローク方法を選定することを試みた。
 表1がその測定結果である。平均泳速度、ピーク速度ともに縦ストロークが最大値を示した。これは私たちの主観的な感覚?判断に基づく仮説を支持するものであった。

 この測定結果を根拠として、私たちは「縦ストローク泳法」の習得へ本格的に着手することとなった。縦ストローク泳法を習得するために常に意識させたポイントは以下のとおりである。

〔縦ストローク泳法を習得するために意識したポイント〕
① 前方に伸ばした手を肩幅あたりまでアウトスイープさせてから、脇腹に向かって縦方向に水をかく
② 前腕が立つように肩関節と肘関節の角度を調整する
③ かき込む際に骨盤を前方へ大きくスライドさせ、上半身を無理なくリフトアップさせる
④ リフトアップさせた上半身はグライド時に深く沈み込ませることなく、頭を腕で隠すように前方へスライドさせる

 このフォームの変更が功を奏し、2023年の世界選手権では東京2020パラリンピック時より約1秒速いタイム(1’27”64)を記録し、国際大会での自身過去最高順位となる4位入賞を果たした。さらに同年のジャパンパラ大会ではスランプ前の自己ベストタイムに迫る1’26”66にまでタイムを向上させた。
 この頃には自己ベストタイム(1’26”06)には及ばないものの、いつどのような大会であっても安定して1’27”前後で泳げるようになっていた。スランプ期はコンディションによってレースのタイムが大きく変動し、常に不安を抱えたままレースに挑んでいたようであったが、高いレベルのタイムを安定して出し続けられるようになったことで日頃のトレーニング中、あるいはレース前に抱く不安感を軽減させる作用を及ぼした。その後、縦ストロークの細かなテクニックの見直しと改良を着実に重ねながら、彼女にとって2度目のパラリンピックにチャレンジする2024年を迎えることとなった。
 長いトンネル脱出の瞬間は2024年3月9日に訪れた。静岡県富士水泳場で開催されたパリ2024パラリンピック日本代表選考会において、宇津木選手は会心の泳ぎを見せ、7年振りの自己ベストタイム更新となる1’25”23のタイムを叩き出したのである。ゴールタッチ後、パラリンピック派遣A標準記録突破ならびにアジア新記録樹立のコールが会場に響いたが、彼女は何より“過去の自分を超えられた”ことに対する喜びを爆発させた。

 パリ2024パラリンピックの会場の雰囲気は想像を超えるものであった。怪我を抱えての決勝レースとなったが、宇津木選手は持てる力をすべて振り絞り5位入賞(1’26”42)を勝ち取ることができた。自己ベストタイムを0.73秒更新できていればメダルに届いただけに悔しさは残ったが、この悔しさは4年後のロス大会で晴らしてほしいと願う。
 2025年度からは大学院生として、パラ水泳を対象にした研究に励みながら、競技生活を続行することが決定している。今後の活躍にも大いに期待したい。

コーチング研究誌「櫂」

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